髷を結ぶのは紙だった。飯田元結に残る細い紐の仕事

和紙と紙紐の繊維を眺める現代のイメージ
AI生成の和紙と紙紐のイメージ。実在する元結や製作現場の写真ではありません

髷(まげ)の根元を束ねる、細い一本の紐。長野県飯田市に伝わる紙製の「元結(もとゆい)」は、髪を結うために和紙を加工した道具です。紙と聞くと、折ったり包んだりする平らな姿を思い浮かべますが、ここでは髪をまとめる紐として働きます。その小さな形をたどると、紙漉きの村と職人の仕事が見えてきます。

こよりに糊を塗って固める

紙製元結の姿は、愛知県岩倉市の民俗資料にも残っています。登録された一点は長さ58センチの黒い束。解説には、日本髪を結う際に使った、和紙のこよりに糊を塗って固めた細い紐とあります。華やかな髪型の根元に、こうした簡素な道具が使われていました。

注目したいのは、材料の紙が加工によって形を変えていることです。和紙をこよりにし、糊で固める。その結果、紙は髪に巻き付けて結べる一本の紐になります。「紙で髪を結ぶ」という意外さは、紙の使い方の広さを教えてくれます。元結を見るときは、細さや色に加え、その中に紙があることにも目を向けたくなります。

元結を支えた紙漉きの村

飯田元結の背景には、材料を作る地域の営みがありました。飯田市が公開する2024年の「ひさかた和紙の会」との懇談記録によると、下久堅地区では江戸時代、元結の材料となる和紙作りが盛んでした。明治時代には「全村紙漉き村」と呼ばれるほど、多くの家で紙が漉かれていたといいます。

その和紙作りは、洋紙の普及や1961年の災害によって衰退しました。地域では1996年に保存会が組織され、紙漉きを伝える活動が始まります。元結の材料を担った地域の和紙は、子どもたちの卒業証書にも使われてきました。用途が変わっても、一枚の紙を作る経験が次の世代へ渡されています。

髪を結う人が手に取るまでに、まず和紙を作る仕事がある。一本の元結から視線を広げると、身支度と村の生業がつながります。同じ懇談では、製品にできる水準の紙を漉く担い手を増やすことが課題として語られています。紙という見慣れた材料にも、受け継いでいくべき技があるのです。

丈夫さと白い光沢

飯田の元結には「文七元結」という名もあります。政府広報の2020年の記事は、元禄年間に櫻井文七が、丈夫さと白い光沢を備えた元結を作り、江戸で評判を得たと紹介しています。髪を束ねる役割を果たしながら、仕上がりの美しさも評価されていたことがわかります。

飯田の製造者・大橋丹治が伝える歴史には、元結作りが下級武士の内職として広がったことも記されています。紙を紐に仕立てる仕事は、髪を結う人とは別の手によって支えられていました。髷の輪郭からは見えにくい、その手仕事にも身支度の歴史があります。

髪型の変化を越えて

明治以降、男性の髪型が変わると元結の需要は大きく減りました。ただ、女性が髪を結う用途は続きます。1868年に元結業で創業した大橋丹治の沿革でも、水引を扱い始めたのは大正期とされています。髪型の変化とともに、作り手の仕事も時間をかけて移り変わっていきました。

同社の歴史紹介によれば、飯田の水引作りはすでに江戸時代に始まっていたと推定されています。元結と水引の歩みには重なる時期があり、紙を細い紐にする技術が、それぞれの用途を支えてきました。

元結は、今日も力士の髷を結う道具として使われています。大橋丹治の商品案内には、長さ66センチの白や黒の文七元結が並びます。相撲を見るとき、髷の形だけでなく、その根元を束ねる細い紐を思い出してみる。紙を作り、髪を結べる形へ仕立ててきた人々の仕事が、いつもとは少し違う角度から見えてくるかもしれません。

編集:KIWABIヘアケア編集部/確認日:2026年10月14日。AI生成の和紙と紙紐のイメージ。実在する元結や製作現場の写真ではありません。

髪を整える江戸の場面を眺めたい方には、歌麿『娘日時計・巳ノ刻』の身支度も。

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