長野県の田舎に伝わる髪被喪(かんひも)の話し

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日本のあらゆる田舎には、その土地の昔ながらの風習や言い伝えなどが数多く残っています。
今回は、髪にまつわる長野県の田舎に伝わっている髪被喪(かんひも)の話をご紹介します。

1.昌平との出会い


昌平との出会い
髪被喪は、都会に住む清治が夏休みを利用して長野県の母の実家がある田舎に遊びに行ったところから始まります。
母の実家は、山と田んぼと畑しかなく、民家も数軒のかなり山奥でした。交通も、村営のバスが朝と夕方の二回しか通らないようなところです。
田舎に遊びに行っても毎日暇をもてあそんでいましたが、唯一救いだったのは隣の家に遊びに来ていた昌平と仲良くなれたことでした。遊ぶといっても、そんな田舎でやることは冒険ごっこ、近所の探検くらいしかありません。
二人で遊んでいるうちに、気がつくと獣道のような細い道に入っていました。
「あれ、なんだろ?」
昌平が指差す方を見ると、石碑が建っていました。その石碑は何だか不気味で、清治と昌平は、「行こう!」その場から立ち去ろうとしたのです。
しかし、昌平が「なんかある!」と石碑の足下に何かあるのを見つけました。古びた、四センチ四方くらいの木の箱で、半分地中に埋まって、斜め半分が出ていました。
清治は嫌な感じがしたのですが、昌平はかまわずに木の箱を掘り出したのです。掘り出した木の箱は、あちこち腐ってボロボロになっていました。

2.昌平のいたずら


昌平が掘り出した箱の表面には何か、布のようなものを巻いた後があり、墨か何かで文字が書いてありました。幼かった清治たちは読めませんでしたが、何かお経のような難しい漢字がいっぱい書いてあったのです。
「なんか入ってる!」昌平が箱の壊れた部分から、何かを見つけると、引っ張り出しました。
それは、直径10センチくらいの腕輪のようなもので、5ヶ所、石のようなもので止められていました。とても土の中に埋まっていたとは思えないほどで、気味悪いながらもとても綺麗に見えたのです。
「これ、俺が先に見つけたから俺の!」昌平はそう言うと、その腕輪をなんと腕にはめようとしました。
「やめなよ!」清治は嫌な感じがして止めましたが、昌平は辞めませんでした。気が付くとあたりは真っ暗で、清治と昌平は気味が悪くなり、慌てて飛んで帰ったのです。

3.昌平一家の異変


昌平一家の異変
その日の夜遅く、清治の家の黒電話が鳴り響きました。
「誰や、こんな夜更けに……」と祖父がぶつぶつ言いながら電話に出ました。電話の相手は昌平の父親のようでした。
話をしていくうちに、はたから見てても、晩酌で赤く染まった祖父の顔が青ざめていくのがわかりました。電話を切ったあと、祖父は寝転がっている清治のところに飛んできて言ったのです。
「清治!!おまえ、今日、裏、行ったんか!?山、登りよったんか?!」祖父の剣幕にびっくりしながらも、清治は今日あったことを話しました。
騒ぎを聞きつけて台所や風呂から飛んできた、母と祖母も話しを聞くと真っ青になっていったのです。
清治や祖父母らは昌平の家に行くことになりました。昌平の家に入ると、今まで嗅いだことのない嫌な臭いがしました。
「おい!昌平!!しっかりしろ!」奥の居間からは、昌平の父の怒鳴り声が聞こえていました。清治達も家の中へ入ります。
そこには昌平が横たわっていました。目の焦点が定まらず、半開きの口からは泡のような白いよだれを垂れ流す昌平が横たわっていたのです。
そして腕にはあの腕輪がはめられている…。よくよく見ると、みんなは昌平の右腕から何かを外そうとしているようでした。
それはまぎれもなく、あの腕輪でしたが、昼間に清治が見たときとは様子が違っていました。

4.様変わりしていた腕輪のようなもの


昼間きれいだった紐はほどけて、よく見ると、ほどけた一本一本が昌平の腕に刺さっていたのです。腕にまとわりついていた黒いものは、よく見ると動いているようで、まるで腕輪から刺さった糸が、昌平の手の中で動いているようでした。
「かんひもじゃ!」祖父が大きな声で叫ぶと、何を思ったか昌平の家の台所に走っていきました。清治は、まるで皮膚の下で無数の虫が這いまわっているような昌平の手から目が離せません。
すぐに祖父が戻ってきました。なんと、手に柳葉包丁を持っていたのです。
「何するんですか!?」止めようとする昌平の父親と母親を振り払って、祖父は少し躊躇した後、包丁を昌平の腕につきたてました。
悲鳴を上げたのは昌平の両親だけで、昌平はなんの反応も示しませんでした。それどころか、昌平の腕からは、血が一滴も出ていません。
代わりに、無数の髪の毛がぞわぞわと、傷口から外にこぼれ出てきました。
しばらくすると、近くの寺からお坊様が駆けつけて来ました。祖父はこの寺に電話をしていたのです。
お坊様は昌平を寝室に移すと、一晩中読経をあげていました。昼間一緒に過ごしていた清治も昌平の前に読経をあげてもらい、その日は家に帰っても眠れない夜を過ごしたのです。
命を落とすことのなかった昌平は、次の日、顔を見せることなく、朝早くから両親と一緒に帰って行きました。地元の大きな病院に行くとのことです。
祖父が言うには、昌平の腕はもうだめだということでした。

5.髪はお守りのような存在で昔から大事にされている


髪被喪は、「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事です。どうやら凶女の髪の束を使い、凶子の骨で作った珠で留め、特殊なまじないにしたようです。
そしてこの髪被喪を、隣村の地に埋めて、災いを他村に被せようとしたのです。清治と昌平はこの髪被喪を運悪く見つけてしまったことから昌平の見に危険が生じてしまったという話でした。
髪は昔からお守りのような形で使用されることが多く、良くも悪くも大事にされているのです。






【本記事の要約】
本記事では、長野県の田舎で伝わる風習「髪被喪(かんひも)」に関する話を紹介しています。物語は、都会から田舎に遊びに来た清治が、昌平とともに古びた木箱を掘り出し、その中に入っていた腕輪を手に入れることから始まります。腕輪をはめた昌平には異変が起き、最終的にその腕輪が原因で彼は命の危険にさらされます。祖父の話によると、髪被喪は災いを他村に被せるための呪いであり、髪の束や凶女の骨で作られた珠が使われているとのことです。髪は昔からお守りとして大切にされ、良い意味でも悪い意味でも重要な存在として使われてきました。

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